私の課長時代

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2013/9/13  (1/2ページ)

おおした・さとし 1976年(昭51年)拓殖大商卒、バンダイ入社。玩具、ゲーム、映像などの分野を経て2012年から現職。山口県出身。おおした・さとし 1976年(昭51年)拓殖大商卒、バンダイ入社。玩具、ゲーム、映像などの分野を経て2012年から現職。山口県出身。

■バンダイナムコゲームスの大下聡社長(60)は入社4年目の1979年、バンダイ模型部の係長となった。その直後に飛び込んできたのがアニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル化の話だ。

 ある日、我々営業部隊と開発部門で会議を開いていると当時の役員が部屋に突然入ってきて、「おまえたち『ガンダム』を知ってるか」と言い出しました。当時のガンダムは名古屋テレビで放送が終わったばかりの知る人ぞ知るアニメ。その役員の大学生の息子さんがたいそう熱を上げていたそうですが、我々は誰一人知りませんでした。

 上司と2人で後日、版元の創通に行き、その場で「ガンプラ」の商品化を決めましたが、正直全くピンときていませんでした。今でこそ当社の看板キャラクターも、商品化前に社内で「これは売れる」と言った人は誰もいませんでした。

■しかし、売り上げは当初の見込みをはるかに超え、社会現象とまでいわれた。

 とりあえず8万個生産し、1個300円で発売しました。直後、外回りから帰社すると上司がパニックになっています。店頭で売り切れが続出し、販売店から「次の入荷はいつか」という問い合わせが殺到していたのです。

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