私の課長時代

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2016/3/31  (1/2ページ)

 ■成城石井の原昭彦社長は新卒で成城石井に入社後、青葉台店(横浜市)に配属された。

はら・あきひこ 1990年(平2年)駒大経営卒、成城石井入社。営業本部商品部長、取締役執行役員営業本部長を経て2010年に社長就任。東京都出身。はら・あきひこ 1990年(平2年)駒大経営卒、成城石井入社。営業本部商品部長、取締役執行役員営業本部長を経て2010年に社長就任。東京都出身。

 世界中から集めた食材を扱っていておもしろそうだと思い、入社を決めました。実家が八百屋だったので青果部門の担当になるかと思いきや、配属されたのは乳製品や日配部門でした。

 つらかったのは豆腐にバーコードを貼る作業です。当時は商品にバーコードが付いておらず、氷水につかった状態で納品されてくる豆腐のパックを拭いてはバーコードを貼る作業に明け暮れました。1日100~200丁もの豆腐を扱い、手荒れでハンドクリームが手放せませんでした。

 ■店舗では発注量の調整など欠品防止のイロハをたたきこまれる。

 特に苦労したのは発注作業です。暑い日や寒い日、天候の良しあし、季節の変わり目などによって発注量を加減する必要があります。例えば雪が降るような寒い日は客足が落ちるので全体的な発注量は減らしますが、逆に鍋料理の需要は高まるため豆腐などの発注量は増やさなければなりません。発注量を読み間違えて、売りたいのに売るものがないという痛い目に何度も遭いました。

 ■96年2月に売り場担当から本部の営業部門に異動になり、仕事内容が大きく変わった。

 営業一課の主任でしたが、いろいろなことを経験しました。物流関係の構築やチラシ作りなどの販促、開店の準備や店舗運営などです。簡単に言うと「何でも屋」でした。

 路面店が中心だった成城石井は97年から駅ナカへの出店を始めました。今でこそ駅ナカの出店モデルは確立されていますが、当時は何がいつ売れるかも分からない状態。発注の見込み違いで欠品が起きそうになったことがありました。皆で近くの店舗から商品をかき集めてトラックで運びました。商機を逃さないよう、欠品を防ぐのに必死だったことを今でも覚えています。

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