私の課長時代

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2016/4/1  (1/2ページ)

 ■課長就任時、成城石井の店舗数は20店に満たなかった。“弱小”ゆえの辛酸を味わった。

商品の仕入れで海外を飛び回った商品の仕入れで海外を飛び回った

 海外の商品を輸入するには食品添加物の含有量や規格に関する基準をクリアしなければなりません。さらに当社の基準は一般的な輸入食品の基準よりも厳しかったのです。「これは日本に輸出できる基準を満たしているはずだ」と言い張るメーカーもありました。それでも当社仕様に変えてもらう必要があります。

 加えて課長になった2000年当時の店舗数は20店舗以下でした。取引条件となる最低発注量を少なくしてくれと頼まざるを得ませんでした。現地の展示会で良いと思った商品でも、半分くらいはメーカーとの交渉が決裂して仕入れがかないませんでした。

 日本人のニーズを必死に説明したり、チラシや売り場写真などを見せたりして、「最初は非効率かもしれないけれど、何年後かには大量に売ってみせる」と懸命に訴えかけました。それに応えてくれたメーカーと当時築いた信頼関係は今も続いています。

 ■買い付けだけでなく店舗にも足しげく通った。

 毎週店を回って現場を見るようにしました。お客様と会話したほか、店の担当者と自分が仕入れた商品の売り場をどうつくれば売れるかといったことをコツコツと話し合ったものです。

 看板商品に「プレミアムチーズケーキ」がありますが、発売当初は全く売れませんでした。ただ、実際に召し上がったお客様の評価は高かった。「価値が伝われば必ず売れる」と信じ、07年の新丸ビル店(東京・千代田)開業時に思い切って専用売り場をつくりました。試食販売したところ、1日で千本を売り切る大ヒットとなりました。

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