私の課長時代

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2016/3/18  (1/2ページ)

 ■日揮の佐藤雅之会長(60)はエンジニアリング業界では珍しい財務畑出身のトップ。入社後、財務部門に配属され、以来財務一筋に歩む。

さとう・まさゆき 1979年(昭54年)早大商卒、日揮入社。2010年取締役財務本部長、11年常務、12年副社長を経て14年から現職。北海道出身。さとう・まさゆき 1979年(昭54年)早大商卒、日揮入社。2010年取締役財務本部長、11年常務、12年副社長を経て14年から現職。北海道出身。

 海外で働きたかったので、就職活動では大手都市銀行を志望していましたが、当時は就職難だったこともあり、入社試験に落ちてしまいました。就職浪人を覚悟していたところ、同じ下宿先の友人がたまたま日揮の応募書類を余分に持っていました。「(エンジニアリング会社は)海外へ行ける」と聞き、プラントについて詳しく知らないまま、その翌日に東京・大手町の旧本社で面接を受けました。競争率は低くはありませんでしたが、無事内定を獲得することができました。

 配属先は財務第1部。大手町で半年過ごした後、横浜事業所(当時)で本格的に働き始めました。今では日揮が手掛ける案件の大半が海外ですが、当時はまだ国内の案件の売上高に占める割合が約3割で、一日中、取引先を回って資金を回収していました。英語の契約書を急に渡されて要約を作ることもありました。支払い条件や請負業者の責任の範囲など要点をつかめず悪戦苦闘しました。

 ■入社6年目の1984年、タイの国営石油会社PTTから受注した液化石油ガス(LPG)ターミナル建設計画の財務を任された。

 タイで初の案件です。私にとっても初めて担当する海外案件でしたが、財務は私1人だけ。現場の会計業務を一から立ち上げ、現地スタッフ向けのマニュアルを作り、税務申告や銀行とのやり取りの仕方を教えるため何度もバンコクに出張しました。損益計算書、貸借対照表も作成しました。

 外国人との仕事は初めてです。英語は帰宅後や会社の昼休みに独学しただけですが、仕事をしているうちに覚えました。英語の会計の本を何度も読んだものです。

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