語学達人への道

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2013/2/21  (1/4ページ)

「転職のため2社ほど受けたが、不合格。その後、公文教育研究会に決まった」と話す竹村和浩さん。「転職のため2社ほど受けたが、不合格。その後、公文教育研究会に決まった」と話す竹村和浩さん。

 英語研修会社を経営する竹村和浩(たけむら・かずひろ)。立教大学卒業後に勤務した東京都立高校で体調を壊してしまい、転職を決意する。

 「金沢出身で、長男なので、地元に帰って、翻訳のような仕事ができればと思っていましたが、軒並み(入社試験に)落ちました。英語ができるということが武器にはならなかったのです。むしろ(民間企業の経験のない)あなたのような人が一番困ると言われました。それでダメもとで公文教育研究会を受けてみたら、合格したのです」。こうして転職先が決まった。故郷には戻らなかった。

 公文には海外要員として採用されたようだが、在籍した約5年のうち、最初の4年間は英語とは関係ない仕事で、結局、海外に赴任することもなかった。「地区担当という営業職で、担当した地域で生徒数を増やしていく仕事でした。教員時代は『先生、先生』と頭を下げられる立場でしたが、頭を下げる立場に変わり、最初は戸惑いました」。

 公文では横浜、大阪、高松に勤務した。高松時代に転機が訪れる。上司から「英語が得意なんだから、英語で(社業に)貢献しなさい」という指示があった。そこで公文の先生向けに英語力アップセミナーという講座を始めた。ここで教えた内容が独立後に企業研修などを受託した際のカリキュラムの原点となった。

 「もともと教員だったので、英語を教えることは好きでしたが、そのことを改めて強く感じました。教えているときが本当に幸せなのです」。そして、「やはり英語で食べていきたい。自分なりの教え方で教えてみたい」という思いが強くなり、1995年2月に公文を退社。高松で独立した。

>> 独立後、最初の生徒に発音教える

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