語学達人への道

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2012/11/1  (1/4ページ)

自宅近くのカフェで質問に答える小熊弥生さん自宅近くのカフェで質問に答える小熊弥生さん

 同時通訳者の小熊弥生(おぐま・やよい)。1991年4、5月ごろ、自分にあった職業を見つけるため図書館に通い、「通訳者をめざす」と心に決めた。そこから通訳学校を探した。しかし、「スキルの問題、お金の問題」で入学できる学校はなかった。通訳学校に入るにはその時点でかなりの英語力が求められる。しかし、小熊の場合、外国人と共同生活をしていたとはいえ、日常英会話の域を出ず、通訳学校に入るほどのスキルは持ち合わせていなかった。

 そこでまず、英語力そのものを高めるため、英語専修の一番下のクラスに入った。しかし、91年初夏のころは「所持金6円」のどん底生活から這い上がるため、ホテルのバーの受付、パーティーコンパニオンなどのアルバイトを必死にこなしている最中でもあった。「3つのアルバイトをやっていたので、睡眠不足で疲れ果てて、しかも分からないことばかりですし、(授業中)気づくと寝ていました。これでは行っても意味がないと思い、ギアチェンジして、留学しようと思ったのです」。

 留学向けの学校を探し、「トフルゼミナール」に行き着く。91年9月から半年間通うことになるが、半年間の授業料は46万円。同年夏までにアルバイトで貯めた。平日の午前中は毎日トフルに通い、午後から深夜にかけてはアルバイトという生活が始まった。このトフルで小熊に劇的な変化が起こる。

 「トフルゼミナールとは相性がよかったですね。私はそれまで、英文法も読解もライティングも体系的には何も学んでいない状態でした。それがトフルでは文法は日本人の先生が懇切丁寧に教えてくれる、リスニングは外国人の先生が体系的に教えてくれる、エッセイの書き方やルールも体系的に教えてくれる。これまで自分の中でごちゃごちゃしていた情報が一気に体系的に整理できた。(劇的な変化は)そのおかげですね」。

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