日経キャリアアップ面連動企画

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2016/3/22  (1/4ページ)

 「常識を覆す」という言葉は新聞や雑誌の見出しで時々目にします。新興企業や衰退していた企業が「斬新な戦略」で好業績を上げたようなときに使われます。

 ところで「常識」ってなんでしょうか?辞書を見ると「一般社会人が当然もつとされる知識や判断力」なんて書いてあるわけですが、「当然」って何が当然で、誰が決めたのでしょうか?

 「常識」=「社会人としてのルール」と考えると「ルール」には2種類あります。1つは、たとえば歩行者は右といった、別に左でもいいんだけど決めておかないと混乱するからあるもの。もう1つは、そもそも目的があってできたスピード制限のようなものです。後者はしばしば「形骸化」していることがあります。

 本来の意味を失ったのに誰も疑問を持たずに従っている「ルール」「常識」です。2年前に「子供の健康診断で座高を測るのは意味がないからやめるべきだと文科省の有識者団体が提言した」という新聞記事を読んでのけぞった方も多いのではないでしょうか。何の意味もないのに延々80年近くも、誰も、何の疑問も持たずに行われ、しかも「座高測定器」なんていうものまであった。疑問を持たない方が「楽」なのです。

 そう考えてみると「常識」というのはおまじないのようなもので、結構怪しいと思ったほうがよいのではないでしょうか? そもそもの目的を常に問い直す必要があるということです。「考えてみりゃあ」と原点に戻ることの大切さは、故西堀栄三郎氏もよく指摘されていたことです。

 企業の中では「この仕事は何のためにやるんですか?」なんて上司に聞くとまず「バカ」と言われます。しかし、そう言われるのは、もしかしたら上司も本当の目的を理解していないからかもしれません。「既得権益」「面倒くさい」が「常識」という言葉にすりかえられ、ごまかされるのはままあることです。しめしめと思ってよく考えると、チャンスが転がっているかもしれません。

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