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学生時代は剣道に打ち込む。

最初は陸上部だったんです。中学に入ったころは100メートルの短距離走で東京都のベスト6に入るくらい足が速かった。その後、1年の3学期に学校教育で武道が解禁されました。私は短距離の選手でしたが、先生から「おまえはバネがいいから」といわれ、剣道の道に誘われました。小柄でしたから、けんかに強くなりたいという不純な動機で剣道部に転向したのです。

居合の稽古に励む筆者(左)

居合の稽古に励む筆者(左)

手ほどきをしてくれたのは社会科の大木邦明先生で、千葉県に伝わる立身(たつみ)流の23代目で古武道の達人でもあった方です。剣道とあわせて古武道と居合も教えてくれました。先生との稽古は、今思えばその後の私のものの考え方に大きな影響を与えてくれたのだと思います。

剣道の極意に「打とうとも 我は思わず 打たじとも 我は思わん 神妙の剣」という言葉があります。社会人になって仕事で困難に直面してもここで表現されていることを胸に課題に立ち向かっていきました。

高校に入っても大木先生のもとに通いながら稽古を続け、その甲斐(かい)あって剣道は3段、古武道は5段の資格を取りました。一方で勉学はやや手薄になり志望校には一寸届かず。1浪しようかと考えていたところ父に「戦死した友人の子息はそんな甘えは許されん。大学に行きたければ今から間に合うところを受けろ」と一喝され、武蔵工大(現・東京都市大)の2次募集を受けて大学に進みました。

トヨタを受験した。

大学でも大木先生とともに剣道を続けたのですが、工学部でなかなか練習時間も取れず、その後の昇段はかなわずじまい。一方で内燃機関のトライポロジー専門であった故・古浜庄一教授の研究室に入り、潤滑関係の卒論づくりに励みました。エンジンを研究していましたから、働くならどこかの自動車会社だと思いトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の受験を決めたのです。

試験は豊田市でした。夏の暑い中をやっとの思いで本社にたどり着き、後で知ったのですが元陸軍士官という方が面接官で出てきました。開口一番「君は剣道と居合をやるのか。竹刀剣道と日本刀の違いをなんと心得る」との質問。思わず立ち上がり正眼に構え「日本刀では左足を前に体重を乗せないと一つ胴は切り落とせません」。そう答えたら後の質問はほとんどなし。こりゃ落ちたかなと思ったら、どういうわけか採用でした。

あそこで立ち上がったのがよかったのか、あるいは白木金属工業(現シロキ工業)の経営にかかわっていた父の推薦があったのか。いずれにせよ、これで父には恥をかかせられないなと気持ちを引き締めたのをよく覚えています。

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