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鈴村喜久男氏らの後を継ぐ。

1987年に元町工場(愛知県豊田市)機械部の次長に昇格し、その翌年に生産調査室の主査(次長級)となりました。昔、私を鍛えてくれた鈴村主査たちの仕事を自分が引き継ぐことになったと思うと身の引き締まる思いでした。この部署は全工場のレベルを上げると同時に本物の人材を育成する部署でもあります。自分が受けたのと同じやり方が必要では、と思っていましたが当時の部長が後に役員になられた銀屋洋さんで大変に厳しい人でした。

主査として鈴村氏らの仕事を引き継いだ

主査として鈴村氏らの仕事を引き継いだ

加えて私のパートナーは坂巻剛君。こわもてで豪快だが実に緻密、改善センスと実行力は抜群の男でした。林主査・坂巻主担当員(課長級)のチームに入った若手は大変だったと思います。毎週月曜日の朝のミーティングで1週間の活動報告を受けるのですが、彼らは朝から顔が引きつった状態でした。

後で知ったことですが、腹痛まで起こした者がいたそうです。今で言うパワーハラスメントかもしれませんがフォローはしっかりやったため、彼らは結果を出し力を付けていきました。

章男氏も特別視せず。

そんなさなかに厄介な話が持ち上がりました。豊田章男さんが元町工場工務部の経験後、経理で3年修行。その後「生産調査室で本格的にトヨタ生産方式を勉強したい」と私の所へ電話してきました。こんな地獄の特訓の中に入れられないと、私も悩みました。やり過ぎてクビになったらどうしよう。しかし特別に扱わないことを彼も望んでいたので、分け隔てなく課題を与え追い込みました。

彼が偉いのは、自分の身元を一言でも言えば相手が動いてくれることがわかっていても絶対にその手を使わなかったことです。

アイシン高丘(豊田市)の鋳物工場では、造形工程の砂型に砂が落ちて不良が出る問題への対策を命じたところ、砂が頭からモロにかぶるような位置に入り徹底的に観察し、とうとう原因を突き止め見事に解決しました。鋳造の専門家もあきらめていた問題だっただけに「よくやったな」と珍しくほめたら、彼は家で自分の作業着は臭いからといって別扱いにされてしまっているとのこと。15年前に我が家で起きた事件と一緒だなと、ひとり思い出し笑いをしたものです。

彼は私が10年で習得したことをわずか2年で体得し、営業部門へ移っていきました。彼がそこで『業務改善支援室』を立ち上げ、販売店の改善で大きな足跡を残したことは、社内では皆が知るところです。

後日、「あの時のしごきはきつかった。長期間だと心が折れてしまうが、汗をかいて恥をかける若い時に短期間あのような訓練は必要だ」との言葉を彼が言っているのを聞き、ほっとしたのを今でも覚えています。

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