MBAはこう使う!

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2015/9/28  (1/3ページ)

 第4次ベンチャーブームとも言われている。そのベンチャー企業に対する支援事業を展開するのが、ブレイクポイントの若山泰親社長(45)だ。最初に入った会社が倒産というハプニングを乗り越え、慶応義塾大学ビジネススクール(KBS)でMBAを取得。現在は国内のビジネススクールの教壇にも立つなど、MBAの知識や経験を生かし、様々な形で起業家育成やベンチャー支援に取り組んでいる。

■就職した会社が4年半後に経営破たんした。

 早稲田大学の文学部を出て総合商社の大倉商事に入りました。特にこれをやりたいというのはなく、商社なら潰しがきくし、海外に行けるチャンスもあるという程度の理由でした。

 配属されたのは非鉄金属を輸出する部署でしたが、当時はすでに、輸出環境の悪化で売上高が右肩下がりの状態。ちょうど私が入社した時に、部署の名前を変えて、新規事業の開拓に本格的に乗り出しましたが、会社自体が1998年9月、自己破産してしまいました。金融危機の影響で大企業の倒産が相次いだ時期です。

 私自身は、配属後、最初は貿易の仕事をしていましたが、すぐに新規事業の担当になりました。会社としてまったく新しい製品を扱ったり、未知の市場を開拓したりするので、すべてが手探り状態です。私が手掛けたプロジェクトも、2つか3つはうまく行って事業として生き残りましたが、その10倍ぐらいの失敗もしました。

 新規事業をやりながら歯がゆい思いをしたのは、お金に関することがよくわからなかったことです。どれぐらい資金があれば一気に海外展開できるかとか、どうやって投資してその結果どれぐらいのリターンがあれば事業が成功したと言えるのかなど、考えてもあまり見当がつきませんでした。そのあたりを一度しっかりと勉強してみたいなという気持ちもあり、MBAをとることを考え始めました。

 といっても、当時は、MBAはあくまで選択肢の1つでしかなく、30歳ぐらいまでに海外駐在できなかったら、会社を辞めてMBA留学しようかなぐらいの気持ちでした。

 ところが、その前に会社が倒産するという大事件が起き、事情がガラッと変わりました。社員は全員解雇ですが、私が最後にいた食糧部は他社がほぼ丸ごと引き受けることが決まっていたので、私も再雇用という形で新しい会社に移ることはできました。でも、ちょうどいいタイミングだと思い、いったん仕事を離れてビジネススクールに行くことにしました。会社は9月に解雇されました。

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