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ハーバードの2年間が控えめで引っ込み思案だった樋口氏を大きく変えました。後編では松下を退職し、プロ経営者へと歩みを進めた軌跡を自ら振り返ります。

>> 樋口泰行氏(上) 余裕ゼロ 準備と気合で立ち向かったハーバードの授業

帰国して半年後に松下を退職。ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に転職した。

何とか無事卒業して帰国した時は、せっかく会社に投資してもらったのだから、一生かけて恩返しするつもりでいました。しかし、ハーバードで2年間、非常にアグレッシブな米国人相手に生き残りをかけて競争してきた自分は、もう昔の、控えめで引っ込み思案なエンジニアではありませんでした。

例えば、職場での会議中、進行にまだるっこさを感じ、パッと立ちあがって発言し、強引に会議を進めたこともあります。MBA留学を経て、いつの間にか、自分もアグレッシブな性格に変わっていました。

仕事に閉そく感も感じていました。ハーバードでは、ケーススタディーの授業で、社長になったつもりで経営課題を解決する訓練を繰り返し受けます。そうすると、日本に戻ってからの仕事は、まるで、手足を縛られたまま、さあ動いてみろと命令されているような感覚で、非常にフラストレーションがたまりました。大きな組織の中で、歯車のような形で働くことはもう自分にはできないと思い、退職を決意しました。

転職先は、留学中に接点のあったBCGでした。経営コンサルタントの仕事は、MBAで学んだことをフルに生かせますが、私の場合は、卒業するのに必死で授業の内容をほとんど覚えていなかったので、入社後に、ハーバードで学んだことを復習し直すはめになりました。

ただ、結局、コンサルは自分には向いていませんでした。コンサルの仕事は、単純に言うと、クライアントにアドバイスをすることですが、人にアドバイスするだけの仕事はフラストレーションがたまりました。やはり自分には実業の方が向いていると思い、2年半でコンサルのキャリアに終止符を打ちました。

次の転職先は米アップルコンピュータ。同社を経て、日本ヒューレット・パッカード(当時はコンパックコンピュータ)に入り、2003年、45歳で同社社長に就任する。

アップルでは最初、マーケティングや市場リサーチを担当しました。リアルなビジネスの世界はやはり面白かった。「自分が本当に欲していたものはこれだ」というものも見つかりました。それは、同僚やビジネスパートナーと、一緒に汗を流したり一緒に苦楽を共にしたりする関係を築くことです。そこに大きな喜びを感じました。

ただ、初めからそうした関係を築けたわけではありあません。むしろ、最初のころは、販売店などとの懇親会の場でも、相手とまったく話が合わず、完全に壁の花でした。これはいかんと思い、志願して営業に異動しました。ところが、営業は思った以上にウエットな世界。ビジネススクールの合理的な世界とは正反対で、これはビジネススクールの経験はいったん捨てたほうがいいなとすら思いました。

アップルやその後のヒューレット・パッカードで苦労しながらも様々な経験を重ねていくうちに、仲間と楽しく仕事ができる理想郷のような職場を作ってみたいという思いが、だんだん芽生えてきました。サラリーマンは起きている時間のほとんどを会社で過ごすわけで、だったらそこにやりがいがなければ、つまらない。仕事だからちょっぴり厳しいかもしれないが、それでも仕事が楽しいと思える。会社に行きたくて、朝、自然と目が覚めたり、会社が近づいたら自然と速足になったり、それくらいの会社にできたら理想だなと考えていました。

必ずしも経営者を目指していたわけではありませんが、そんなことを考えながら仕事をしていたら、結果的に、経営者になっていました。

2005年、日本ヒューレット・パッカード社長を退任すると、今度は、産業再生機構の支援で再建中のダイエーの経営を託された。

私自身の経験から言えることですが、これからの日本のビジネスリーダーに求められる資質は、MBAで学ぶような米国流の経営術と日本的なウエットな部分の両方を兼ね備えていることだと思います。それは、ダイエーの再建を任された時に実感したことでもあります。

ダイエー再建の時は、会社再生のプロを自任するようなカタカナ職業の人が外部から大勢入ってきましたが、現場の人たちはまったく言うことを聞きませんでした。自分たちと同じ苦労を経験していない人間に何がわかるんだという反抗心が根底にあったのです。

MBAは確かに経営者になるための近道ではあります。特に海外のビジネススクールで学べば、日本とは異なる企業経営の考え方がより身近に学べる。それを学ぶことは、グローバルの時代の経営者にとって非常に重要なことです。逆にそれがないと、企業を変革できません。しかし、いくら素晴らしい経営理論を身につけても、それだけでは会社は動かない。現場を踏み、修羅場をくぐりぬけて初めて尊敬されるリーダーになっていくのだと思います。それが、ダイエー再建を通じて学んだことです。

2007年3月、日本マイクロソフトに最高執行責任者として入り、翌2008年4月に社長就任。再び成長路線に乗せ、2014年度は過去最高益を記録した。

振り返ってみると、確かにハーバードでは、卒業しようと必死で、何を学んだのかさっぱり覚えていないのは事実ですが、無意識のうちに体にしみ込み、その後のキャリアに影響を与えているものはあるのではないかと思っています。

一例がケーススタディーです。個別のケースについては全く覚えていませんが、全部で500ぐらいのケースをやり、そのすべてをきちんと読み込んで授業に臨んだわけですから、それだけたくさんの経営の疑似体験をしていることになります。その疑似体験が肥やしとなって、経営の意思決定を支えてきたのは間違いありません。

また、ハーバードには世界のビジネスリーダーを目指す一流の人材が世界中から集まってきます。2年間、彼らと同じ空気を吸ったことで、リーダーに必要なコミュニケーションの取り方や振る舞い方、考え方を、知らず知らずのうちに彼らから吸収できたのではないかと考えています。経営能力とは本来、本から学ぶものではなく、誰かの背中を見たり、誰かから伝授してもらったりして、身についていくものです。

そういった意味では、ハーバードの2年間は、じつに実り多い時間でした。

>> 樋口泰行氏(上) 余裕ゼロ 準備と気合で立ち向かったハーバードの授業

インタビュー/構成 猪瀬聖(フリージャーナリスト)

[日経Bizアカデミー2015年11月9日付]

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