私の履歴書 復刻版 松下幸之助

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2012/1/23  (1/2ページ)

 昭和46年4月、日本人の心のふるさとと言われる奈良の飛鳥を、官民相寄って何とか保存しようということで、財団法人飛鳥保存財団が誕生し、私がその理事長を引き受けることになった。私がどうしてこれを引き受けることになったのか、実はこれには次のようないきさつがあったのである。

 先年、惜しくも亡くなられたが、当時、私の鍼【はり】の先生に御井【みい】敬三さんという方がおられた。その御井さんが私に鍼をしながらいつも話してくれたのが「日本人の心のふるさととして、飛鳥は永遠に保存しなければならないのに、それが開発の波に押されて今や風前のともしびである。今にして手を打たないと、日本人として後世に悔いを残す」ということだった。

 非常に頭のさえた人で、目は見えないけれども、単なる鍼医者とは違った見識をもっていて、飛鳥の歴史に深い関心をもち、時間があれば明日香村へ行き、飛鳥の土に親しみ、その現状について深い憂いをもっておられた。ついつい、つられて聞いているという日常が重なるうちに、私は飛鳥へ行ったことはないが、自然に興味を持ち、共鳴を覚えるようになってきた。

 そうしたある日、私は御井さんに「先生、あなたのおっしゃることがよく分かってきた。しかし私は現地に行っていないのでうまく説明できない。だからあなたのその思いを、10分間でいいから録音して説明してください。私は月に1回、佐藤首相に会うから、そのときそれを聞いてもらうことにする」と頼んだ。御井さんは非常に喜んで早速、飛鳥の歴史の意義を説き、このまま放っておいたら古代の面影がなくなってしまう、それは日本人の心を失うことだ。国家的課題として政府もその保存に全力を尽くすべきだ、と切々と訴えたテープを私にあずけた。

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