私の履歴書 復刻版 松下幸之助

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2012/1/26  (1/2ページ)

会長退任のときの記者会見(左から髙橋会長、筆者、松下社長)会長退任のときの記者会見(左から髙橋会長、筆者、松下社長)

 昭和45年の万国博のころから、健康を損ねることが年々多くなって、どことなく体が弱ってきたことが自分でも感じられるようになった。そして“どうもこれではいつまでも会長の職にいるわけにはいかんな。そろそろ退任を考えんと”という思いが、何となく心に浮かんでくるようになってきた。しかし、それをいつにするかということについては、別に確たる考えもなかった。

 ところが昭和48年も半ばを過ぎたある日、ふと考えると、この年は松下電器の創業55周年の年であり、自分も数え年80歳の年である。これは一つのよき区切りではないか。よし、ここで退任しよう、と急に思い立ったのである。そして同年7月19日、会長を退いて相談役になることを発表したのであった。

 その間のいきさつについては、発表後、社内の中堅幹部以上の人に集まってもらい、退任のあいさつをしたときの話の中でふれているので少し引用してみよう。

「実は突然の発表というような感がありますが、私もかねがねいつか会長を辞任して、ということを考えはいたしておったものの、しからばいつ辞めたらいいだろうということについては、具体的に考えるまでには至っておらなかったんであります。しかし、ちょうど数えの80歳と言い、55周年と言い、この辺が一番適当な時期じゃないかということを実は考えたのであります。考えましたら、ちょうどそのときは、5月の決算案をもって株主総会に臨むときでありました。こういうことは総会後の重役会に発表することがだいたい世間の慣例になっておりますので、そのときを選ぶことが一番よかろうということで、急に決意をしたような次第であります。

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