私の履歴書 復刻版 松下幸之助

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2012/1/30  (2/2ページ)

 さらに言えば、今回の履歴書では、経営者としての事業における私の歩みが主体になって、一人の人間としてのいわば人生的な感懐というものにまでふれることができなかった。これもまた合わせて次の機会に譲りたいと思う。

 いずれにしても、私はいまこんなことを考えている。私は明治生まれであるが、明治生まれの人間は、明治、大正、昭和と生き抜いて、つねに社会の指導者層を形づくっていたように思う。かつての太平洋戦争にしても軍部に責任があったというが、もっと大きな意味では明治人の責任であるとも言えよう。そして、戦後の再建を緒につかしめたのも、明治生まれの人である。その人たちが、いまや高齢になり、一番若い人でも69歳以上になってしまった。そういう人たちがボツボツ第一線を引こうとしている。いつまでも先頭に立っていては、若い者に対して悪いというような引っ込み思案になっているように思われるのである。

 しかし私はそれではいかんと思う。いま日本がうまく理想的にいっているのだったら、それでもいいけれど、いまはまだ、戦後の三十有余年の復興というものが理想的に出来ていないのである。高度成長そのものはよかったけれど、それに関連するいろいろな問題が起こってきているのである。どちらかというと今までの復興は、一方的復興、物質的な復興だけで、物心両面の復興になっていない。それなのに、われわれが功なり名遂げた形で下がっていってよいのだろうか。言うなれば片一方の輪が不完全な車をつくっておいて、大正や昭和生まれの人に、あとはうまくやってくれと言っているようなものである。これは卑怯【ひきょう】だし、無責任だと思う。だから、私は私なりの責任を果たさねばならないと考えている。

 そんな思いで、終戦30周年の昭和50年、私はもう26年生きようと決意した。そうすると、19世紀、20世紀、21世紀と3世紀にわたって生きることになる。その26年間に、新しい21世紀に向けて、日本はどういう姿でなければならないかということを、国民の1人として真剣に考えたいという思いがフツフツとわいてくるのである。

 この話は、昭和50年の終戦30周年の記念講演会でもしたし、勲章をもらった人たちの集まりである大阪褒綬会でも話した。明治生まれの人が勲章をもらって引っ込む時期ではないというわけである。みなさんはどう受けとられたか知らないが、私はそんなことでいま非常に若々しい気分でいる。いうなれば、私の新しい履歴が、これから始まろうとしているともいえよう。

 この連載は、昭和31年8月および昭和51年1月に日本経済新聞に連載した『私の履歴書』をまとめた本「松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書」(日本経済新聞出版社)を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日、差別的とされる語句や表現がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

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