私の履歴書 復刻版 松下幸之助

最終回 会長退任、決意新たに(下)

 今回の「私の履歴書」では、昭和25年7月に、会社再建への道を歩み始めてから、四半世紀に近い昭和48年末までの期間を述べたが、その過程にはいろいろの波乱はあったにしても、今振り返ってみると、だいたいに…

第28回 会長退任、決意新たに(上)

 昭和45年の万国博のころから、健康を損ねることが年々多くなって、どことなく体が弱ってきたことが自分でも感じられるようになった。そして“…

第27回 過疎地振興と万博「松下館」(下)

 昭和46年4月、日本人の心のふるさとと言われる奈良の飛鳥を、官民相寄って何とか保存しようということで、財団法人飛鳥保存財団が誕生し、私がそ…

第26回 過疎地振興と万博「松下館」(上)

 昭和43年10月、私はたまたま四国の高知県へ行く機会があった。関西の経済界が高知県の経済人と合同会議を行なったのに参加したわけだが、会…

第25回 創業50周年記念式典(下)

 大正7年、小さな借家の土間で、ソケットづくりから始まった松下電器は、盛業のうちに、昭和43年5月、創業50周年を迎えた。思えば、50年…

第24回 創業50周年記念式典(上)

 松下電器が創業50周年を迎えた昭和43年は、くしくも日本の明治100年に当たった。この記念すべき年の初めに、突如としてアメリカのロスト…

第23回 経営は芸術、賃金でも欧州抜く(下)

 第1次の資本の自由化が近づいた昭和42年2月、私は京都・宝ケ池にある京都国際会議場で開かれた第5回関西財界セミナーで、資本自由化について私…

第22回 経営は芸術、賃金でも欧州抜く(上)

 いわば、“経済国難”ともいうべき不況から、日本経済がようやく立ち直りのきざしを見い出したころ、業界の競争は、いままでとは違った一段と激しい…

第21回 “ダム経営”のもと週5日制へ(下)

 週5日制実施後の初めての休日である4月17日に、私は、特に幹部社員を集めてその意義と心がまえについて所信を述べ、全従業員の自覚と奮起をもっ…

第20回 “ダム経営”のもと週5日制へ(上)

 業界安定のために、営業本部長代行という姿で取り組んできた私は、昭和40年2月、岡山県の倉敷国際ホテルで開かれた第3回関西財界セミナーで…

<< >>