私の履歴書 復刻版 松下幸之助

第19回 40年不況で陣頭指揮に(下)

 先に述べた過当競争ということについて、こんなことを思い出す。それは昭和39年10月のことである。松下通信工業でやっていた事務用大型コン…

第18回 40年不況で陣頭指揮に(上)

 さきに私は“所得倍増の二日酔い”という一文を『文藝春秋』に寄稿して、他力本願の高度経済成長の行き過ぎを警告したが、東京オリンピックを境…

第17回 甘えた「所得倍増論」に警鐘

 昭和36年に、私は文藝春秋社から依頼されて雑誌『文藝春秋』12月号に「所得倍増の二日酔い」という一文を寄せた。大変な反響で、私はこのとき“…

第16回 会長に就任、経営見守る

 私が会長になった翌年、つまり昭和37年の2月にアメリカの『タイム』誌が、私と松下電器のことをカバー・ストーリーで取り上げた。取り上げら…

第15回 輸出増大を図る(下)

 「岩戸景気」といわれる好況に支えられて、日本経済が順風満帆の成長を続けた昭和34年ごろから貿易の自由化、為替の自由化の波が少しずつ日本…

第14回 輸出増大を図る(上)

 松下電器が貿易をやろうということを決意したのは戦前からのことで、私はすでに昭和7年に貿易部をつくっていた。しかし機が熟し、いよいよ本格的に…

第13回 5カ年計画で売り上げ4倍を

 松下電器の再建もようやく軌道にのってきた昭和31年、私は松下電器の5カ年計画を発表した。会社は5年後、こうなるのだ、このようにするのだ…

第12回 中川電機と日本ビクターを引き受ける

 昭和27年2月、かねて親交のあった久保田鉄工の創業者、久保田権四郎さんがぜひ紹介したい人があるからといって、中川電機の社長の中川懐春君…

第11回 フィリップス社と提携(下)

 フィリップス社との提携は、私にとって外国企業と合弁会社をつくる初めての経験だったが、経営の価値というものを考えさせる貴重な出来事でもあった…

第10回 フィリップス社と提携(上)

 オランダのフィリップス社との提携のことを書いてみよう。フィリップス社とは、昭和26年10月末から11月に、ヨーロッパへ出かけて1回目の…

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