私の履歴書 復刻版 本田宗一郎

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2012/3/22  (1/2ページ)

 34年(1959年)6月、私は輸出伸長をはかるため、ロサンゼルスにアメリカン・ホンダモーターを設立した。50万ドルの許可が大蔵省からおりたとき日本人を連れて行く話が出た。理由は日本人の方が気心が知れていて仕事がやりやすいし、給料も安くてすむというところにあった。だが私はこの話に反対した。

 米国に行って米国人なみの給料が払えないようじゃ商売はできない。それでは日本人を搾取する以外の何ものでもない。日本人を連れて行ってジャパニーズ・タウンを作るのもいけない。米国に進出する以上、その土地の人を使って、かの地から喜んでもらうようにすべきだ。だからまず土地を買って建物を作り、どっしり腰をおろして商売にとりかかろう。これがオーソドックスな商売成功法である。こうして現在向こうに行っている日本人はわずか5家族っきり、150人からの米人セールスを使ってりっぱに成功している。

 アメリカ・ホンダを設立するときの話にこういう経緯があった。これまでにオートバイを売ったことのある店を代理店にしようと頼みに行き7500台ぐらい売ってほしいとこちらの希望を話した。すると相手は「いい数字だ。それくらいなら売れるだろう」と意見の一致をみた。ところがいろいろ話しているとどうも食い違う。よくよく突っ込んで話してみると向こうは年間売り上げのつもり、こっちは月間売り上げのつもりだった。「毎月7500台!それはとても無理だ。とんでもない!」いっぺんに拒否されてしまった。これはこの男の頭がこれまでのオートバイの既成観念にとらわれていたからである。米国には昔からインディアンといったすぐれたオートバイがあったのに、それが自動車の普及につれていつしかつぶれてしまった。だが現在の米国ではオートバイの乗り方が昔とは違ってきている。昔のように実用的な用途で乗り回す姿はほとんど見かけなくなり、半面純粋にレジャー用品として見直され喜ばれるようになっている。一方、自動車は完全に輸送機関の一つであってレジャーではなくなった。交通の混雑は自動車を苦痛とさえ感じるようになった。目的地まで自動車にオートバイを積んで行き、そこで家族みんながオートバイに乗り換えて自動車のはいれない所、道のない所に行き、あるいは釣りを楽しむ。だからオートバイは自動車に駆逐されるものではなく、自動車の次にくるレジャー品である。

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