私の履歴書 復刻版 本田宗一郎

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2012/3/26  (1/2ページ)

 36年(1961年)6月、こんどは西独のハンブルクにヨーロッパ・ホンダを設立した。ここでも米国と同じ理由で日本人はたった2人だけ、あとは全部現地人を採用した。さらに、ことしの正月から7、8人の調査団を派遣してEEC(欧州共同市場)への進出地点を調べさせていたが、その結果ベルギーの首都ブリュッセル西方20キロの地に現地工場を建てることにした。認可もおりたので7月18日関係者が渡欧、38年2月から月産1万台の本格的生産にはいる計画でいる。

 ベルギーでの現地工場建設は、EECのどまん中に乗り込んだことになる。そこで西独やイタリアの業者は非常に脅威を感じて見守っているが、私はすべて思想によって技術をみちびく方針をとっている。つまり、技術よりも思想を先行させるのである。たとえば、こんどは利用者の好みも体格も規則も違うのだから、いままでのと全く違った新しいデザイン、構造でのぞまねばダメだ。

 ベルギーでどんなオートバイを作ったらいいか、その設計中にこんなことがあった。ベルギーはほこりが少ないから空気清浄器は不用だという結論が出たとき、私は即座に反対して変更させた。

 いったいベルギーに工場を建てるのはベルギーのかねを日本に持ってくるためだろうか。そんなケチな了見ではベルギーの人たちにきらわれ海外企業は成功しない。現地に工場を建てたからにはまずその土地の人を富ます方法を考えねばならぬ。そうすればベルギーからオランダ、ルクセンブルクなどのベネルックス3国はじめEEC諸国にもどんどん輸出できるようになる。またベルギーはアフリカに非常な権益を持っており、アフリカへ輸出することも当然考えねばならぬ。とすれば日本よりほこりっぽいアフリカに適するもの、つまり空気清浄器は絶対に必要不可欠なのである。こういうところに単なる技術でなく、それを指導する思想が必要なのだ。

 前にもちょっと述べたが、35年(1960年)7月に私は本田技術研究所を独立の別会社として設立した。すべて研究というものは失敗の連続であり99%以上は失敗と覚悟しなければならない。そういうものを本田技研工業というあくまで生産オンリーで利潤を追求する会社の中に置くと、どうしてもママッ子扱いされがちになる。それではりっぱな研究を続けることができないので別会社にしたのである。

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