私の履歴書 復刻版 本田宗一郎

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2012/3/15  (1/3ページ)

 世間では本田技研といえば株価が何倍になったとか言って、いかにも順風満帆で今日まで何事もなくきたかのように思っている人が多いが、やはり企業の存立にかかわるような苦しい時代を経てこそ今日があったのである。

 26年(1951年)ごろ、輸出振興と合わせて輸入防止を政府に頼むため民間業者の会合があった。だが私はそれに参加しなかった。輸出を政府に頼み、そのうえさらに輸入防止まで依頼しようという安易な道を選ぶことに強い反発を感じたからである。これはわれわれがあくまで技術によって解決すべき問題である。日本の技術がすぐれて製品が良質であるなら、だれも外国品を輸入しようとは思わない。また黙っていても輸出は増加するはずだ。そのとき私は“良品に国境なし”のことばを身をもって実現しようと決心した。技術を高め、世界一性能のいいエンジンを開発して輸入を防ぎ、輸出をはかろうというわけである。

 だが、無手で技術のすぐれたものができるはずがない。「弘法は筆を選ばず」という格言があるが、字を書くくらいならそれもできよう、しかし、現今の日進月歩の技術の世の中では、やはり筆を選ばなくてはならない。どんないいアイデアがあっても、それを表現する道具を持ち合わせていなくてはどうにもならない。マスプロ化ということになると、いっそうその必要性が高い。そこで、どうしてもいい外国の機械を輸入したいと考えた。

 当時は米国の援助資金は、高級外車とかウイスキー、化粧品など非生産的な消費財にばかり振り向けられ、生産面に寄与するものはほとんど輸入されていなかった。私はこの際生産機械を輸入すれば、たとい会社がつぶれても機械そのものは日本に残って働くだろう。それならどっちにころんでも国民の外貨は決してムダにはなるまいという多少感傷めいた気持ちもあった。

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