私の履歴書 復刻版 本田宗一郎

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2012/3/29  (1/4ページ)

 世間では本田はアプレだなどというが、外からはあぶなそうに見えてもそこは非常に慎重にやっている。よその会社は工場を先に作ってから品物を作りはじめるが、私は品物を作ってみて、これなら売れるという見通しがついたとき一気に資本を投下する。鈴鹿に工場を建てたときも、いま市場に出回っている50ccのスーパー・カブが完成し、これなら絶対に売れる、2年半か3年でモトがとれるという自信が、各種のデータを検討の結果持てたので踏み切ったのである。

 一例をあげると、全国に2、3か所モデル販売地区を選び、新製品をここに集中的に配車し、その結果を検討した。こうすれば全国では何万台売れるかという見通しが立つ。そのような見通しを得てから鈴鹿市と土地交渉にはいった。

 ここは元鈴鹿海軍工廠跡で、工場敷地としては最適地であるが、この工場建設について私や専務はいっさい口出しをせず、決めたのは土地だけ。若い者の創意と生命力に強く期待してちゅうちょなくこの大事業のすべてを彼らにまかせる気になり、“全社員の創意くふうで鈴鹿にモデル工場を作れ”と指令を出した。すると平均年齢24、5歳の連中が各職場からチエを出してきた。建築関係者は建物について、技術研究所の連中は技術的なアイデアを、というぐあいにそれぞれの技能、持ち場に応じて適切なアイデアを出し合い、ついに100億円に近い大工場を無事完成させたのである。鈴鹿製作所は若い人たちの集大成であり、世に誇りうることと思う。

 一方、カブの大量生産に備えてどこをどうすればもっと安くできるかと製品についてのアイデアも徹底的に提案させた。だから鈴鹿でカブの生産が始まったときには初めからスムーズにすべてが進行、カブの生産費は大幅に引き下げられた。コストは安くなっても売り値はくずさない。だから当然利幅が多くなる。これでもうからなければどうかしている。100億円の大工場がわずか2年半でペイされている。経理も機械類はだいたい4年で全部減価償却までやってしまう方針をとっている。

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