私の履歴書 復刻版 本田宗一郎

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2012/3/5  (1/2ページ)

 こうしてできたエンジンが現在のホンダのオートバイエンジンの基礎になった。もとはといえば、それまで遊びに行くたびに乗り回していた自動車がガソリン不足で動かせなくなり、といって汽車やバスでは混んでどうにもならない。そこで自転車に目をつけたのだった。

 自転車に小型エンジンを付けたものつまりモーターバイクという私の創意はみごとに的中して最初月産2、300台だったのが、しまいには1000台ぐらいつくった。栃木とか岡山などという遠方からも自転車屋さんやヤミ屋が買いに来た。事実、米の買い出しなどには最適で、私も女房の実家にはバイクを利用してちょいちょい行った。だが一方では「あんなもの、ヤミ屋の乗るものだ」とさんざん悪口も言われた。

 もっとも、モーターバイクの製造にとりかかるについては身内や知人の間からもいろいろな批判や意見があった。「自動車はこれからどんどんふえるだろうから、自動車の修理工場をやろう」と提案する者があるかと思えば「ガソリンの不足時代にモーターバイクなんかに乗るやつがいるか」と否定する者もあった。だが私は「ガソリンがない時代だからこそ、少ないガソリンで動くモーターバイクが必要なのだ。薬屋で売っているベンジンを買ってきても動かせるではないか」と主張してエンジンの製作に踏み切ったのだった。

 はじめは10人ぐらいのメンバーで始めたが、私は弟弁二郎とか、いまの本田の重役になっている河島喜好君らと力を合わせてがんばった。河島君は浜松高工を卒業するとすぐ私どもの小さな工場に来てくれた人で、そのころは図面を書いてもらった。

 ところで、いくら少ないガソリンで済むといっても割り当てのガソリンでは間に合いっこない。戦時中からガソリン統制は非常にきびしいもので、戦後になっても割り当て以外のガソリンを使っていると物統令違反でやられた。だからガソリンにはずいぶん不自由した。なんとかいいくふうはないものかと考えた私は、戦時中飛行機の燃料に松根油を使っていたのに目をつけ松山を買って松根油を作った。これをヤミで買って来たガソリンにたらしこむ。すると松やにくさいにおいがするから、違反でやられそうになっても、「使っているのはガソリンじゃない。統制外の松根油だ」とすまして言えばそれで通るというわけである。この松根油入りのガソリンはもともとにおいつけのために混合したのだからとてもほんとうのガソリンのようにはいかない。そこで一部から悪評も立てられたが、大衆にとってつごうのいいものはやはりつごうがいいわけで、北海道、九州と各地から現金持参で買いにやって来たほどだった。

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