私の履歴書 復刻版 本田宗一郎

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2012/4/2  (1/2ページ)

「私の履歴書」はこれで終わるが、私はまだ50代の若さである。ほんとうの履歴書はこれから始まるといっていい。この手記は、いわば、人生の中途で、一本の里程標を記したようなものなのだ。しかも、事業家の立場から、自分の経営する事業の発展の経緯をごく粗(あら)くたどったものである。そこで、この稿の結びとして、いわば私の持つ人間感情の面から一言書き加えることを諒とされたい。

 私はアプレ事業家などと言われているが、アプレもアバンもない、事業というものは、いうまでもなく世間の多くの人の支持がなければできるものではない。製品をこよなく愛してくれるお客さん、アドバイスを与えてくれた友人知己、ピンチの際にもよく力を貸してくれた銀行、協力工場、販売店、それに若き従業員たちの後ろ楯も忘れることはできない。

 まず第一に、私は会社経営の根本は平等にあると思う。上役、下役の差別扱いもよくないし、エコヒイキにも気をつけねばならぬ。だから私は自宅へ社員は絶対にといっていいくらい呼ばない。家庭は一種の城であり城主は女房である。一部の社員を上役が自宅へ呼んだりすることはえてして閥をつくりやすく、会社運営のガンになりやすい。学閥、故郷閥――あらゆる閥はよろしくない。といっても、うちの会社にはたった一つだけ閥がある。それは小学校卒業という閥である。これならどんな人でも日本人であるかぎり、みな義務教育としてやってきた。どこからも文句の出ようはずがないのである。

 よく私のことを陣頭指揮だなどという人がいるが、社長というものは重役会で決定したことが手順よく行なわれているかどうか全体を監督し、突発事故が起きたときにはよく対処されているかどうか、もし対処されていなければ役員に相談して適切な打開策を検討するのが役目である。それさえスムーズに行なわれていれば何も陣頭指揮などする必要はない。だから私は本社へもときたましか顔を出さないし、社長の実印も見たことがないから四角か三角かも知らない。

 研究所で研究に没頭しているのは好きで、しかもいくらかなりと社のためにもなっているからである。イキ抜きにゴルフでもしたらとすすめてくれる人がいるが、私にとって機械いじり仕事がそのままレジャーなのだ。

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