私の履歴書 復刻版 井深大

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2012/5/31  (1/2ページ)

 成長型トランジスターはさっぱり成長せず金をくうばかりで、なかなか使えるものが出てこない。私はこのころトランジスターに手を出したことはたいへんな失敗だったかと幾度も反省させられた。それでもやっとどうにか使えるものがたまに出てくるようになった。それを待ち構えていてラジオにつけて働いた、働かないで大騒ぎであった。

 歩どまり5%、つまり100個こしらえて及第するものが5個になったとき、ラジオの生産に踏み切った。前にも書いたように世界で2番目のトランジスターラジオの商品化はかくしてできあがったのだが、世界で2番になれるのは当然である。あたりまえの企業家だったらこんなむちゃな計画は立てるわけがない。しかし歩どまりは必ず向上する目算があったので私は思い切って決断したのである。

 もしあの時、アメリカでものになってからとか、欧州の様子をみてからこれに従ってなどと考えていたとしたら日本が年間500億円の輸出をするトランジスターラジオ王国になっていたかどうかははなはだ疑わしく、したがって今日のソニーもありえなかっただろうし、この無謀ははなはだ貴重な無謀だったと考えている。

 さて、見本のラジオができあがるとこの歩どまりでは相当高価なものになるし日本での販売よりは海外に売る方がよさそうだということで、盛田君はさっそく米国に飛んだ。したがってトランジスターラジオは生まれるときから輸出品になる運命を負っていたようだ。

 どこにもない物をつくるのだから、いくらでも売れてしまうのだったが、なにしろ遅々として上昇しない歩どまりとにらみ合いの生産で、思う存分売ったとはいえなかった。けれども私は後になって世界中にソニーが有名になったのは、こんな時代から売り込んだおかげだと思っている。

 次にトランジスターをいちばん生かすのはうんと小型なラジオをこしらえることだと思って小型化を企画した。最初は部品屋さんが全然相手にしてくれないのをやっと頼み回って、しぶしぶきいてくれたのが今日のミツミ電機とフォスター電機である。今日世界中で小さなラジオを製作するには大なり小なり日本の部品屋さんのご厄介にならなければならないのもこんなところに起因している。

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