私の履歴書 復刻版 井深大

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2012/6/7  (1/2ページ)

天皇陛下、ソニー工場をご見学(37年3月)天皇陛下、ソニー工場をご見学(37年3月)

 ここで最近ソニーを最も世界に有名にしたエサキダイオードとマイクロテレビについて記したい。

 エサキダイオードは与える電圧を大きくするとある点で電流が減るという普通のダイオードには見られない特性を持っている。これは負性抵抗と呼ばれ、トランジスターと同じように発振とか増幅の作用があり、トランジスターでは及びもつかない高い周波数でも働くので極超短波域や高速度の電子計算機では、他の物ではやれない威力を発揮する。そのためトランジスターにつぐ大きな発明として注目されている。

 前に記した成長型のトランジスターを改良するために純度を高くしたゲルマニウムに不純物を入れてその量を増してゆく実験をしているうちに普通では見られない特性曲線が現われた。たぶん測定違いだろうくらいに考えて江崎主任研究員がこれを再検討してみるとどうしても新現象だということがわかり、これを理論的に解析して理論体系を生み出した。これがエサキダイオードと呼ばれるものである。私はこれはたいへんなものだと思い、日本の大学と研究所とベル研究所に報告し、もちろん当社の回路を研究している連中にも示したが、現象としてはたいへんおもしろいがどうしても実用的には使いものにならないというのが全部の答えだった。

 それではしかたがないというので、34年の2月フィジカル・レビュー誌に発表した。これが世界の注目するところとなり、34年の秋、ブリュッセルでの半導体会議の席上、トランジスターの発明者ショックレー博士の激賞を受け、一躍江崎君は世界の名士となった。

 米国の方々の会社からの招聘(しょうへい)があったが、江崎君と相談のうえ江崎君の今後の研究をほんとうに生かす最善の方法としてIBMに移ることに決めたのである。世間ではけんか別れをしたの、どうのとたいへんやかましいことだったが、私はあくまで彼の才能を伸ばせるだけ伸ばすための処置だった。

 35年、これもトランジスターラジオ以上の苦労をして、世界で初めてのトランジスターテレビ(8インチ)を発売するところまでこぎつけた。しかし8インチではラジオの場合の大型ポータブルに相当するので、ポケットへはいるラジオ相当品を作ろうということになった。米国のマーケット屋は8インチなんて小型は絶対売れるものではないと公言していた。だが5インチのブラウン管を試作してみると案外明るいよい絵が出るので、これならいけるという気になった。

 8インチのトランジスターテレビを出した時、他社も数はそう出なかったようだが、間髪をいれず追尾してきたので、こんどはその裏をかこうというので作戦をたてた。いちばん秘密のもれるのはブラウン管用のガラスからだとにらんだ私は、既製のガラス会社に依頼することはやめ、まず自分のところで技術開発をし、いままで電気工業には全然縁のなかった柴田硝子に生産を依頼することにした。これには37年春なくなった柴田前社長にもなれない仕事だけにだいぶ苦労をかけたが、秘密は完全に守られた。

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