私の履歴書 復刻版 竹鶴政孝

最終回 ウイスキー人生 一筋道を通せた喜び いまやスコッチに迫る勢い

 私のことを「恵まれた星のもとに、ウイスキーだけに生きてきた幸運な男」という人がいる。「あの男からウイスキーをとったら何もなくなる」「あいつはウイスキーばかだ」といわれたこともあった。  「あな…

第27回 リタの急逝 得意だった日本料理 余市に残る「リタ幼稚園」

 昭和36年(1961年)妻のリタが急逝した。英国留学中の私と結婚し、はるばる未知の国日本までやって来て、私より若いのに先立った妻の運命…

第26回 2級ウイスキー 各社販売戦の主力に 容量増やし丸びんで対抗

 昭和27年(1952年)8月、ウイスキーを売る会社が、大日本果汁株式会社でもあるまいということからニッカウヰスキー株式会社と社名を変え…

第25回 原酒の力 兼業で会社も息つく 混乱期、良質品で抵抗示す

 戦後の混乱期、北海道工場には、占領軍の将兵や外国人からウイスキーの強請があった。占領軍の幹部からは15セントのアメリカたばことウイスキーの…

第24回 ニッカ売り出し 苦心の“道産子”に感激 価格統制で1級の指定に

 昭和9年(1934年)から11年(1936年)にかけては、天皇機関説の問題化や二・二六事件など世相も戦争拡大の方向に激しく動いていたが…

第23回 自立の第一歩 北海道の余市に工場 甘いジュースで辛酸なめる

 ウイスキーをつくる仕事は、何年か先を目標にする気長な事業である。ウイスキーづくりに適した土地で、よい原酒を時間をかけて育てるのであるが…

第22回 円満退社 母が急死、ついに決意 工場の身売りもショック

 山崎工場で最初に仕込んだ原酒、つまり大正14年、15年(1925、26年)ごろの原酒が熟成して古い原酒として一人前になったのは、伏見宮殿下…

第21回 本格ウイスキー 昭和4年に「白札」発売 日本酒の時代でさっぱり

 ウイスキーづくりは、少なくとも最初の5年間は商品として売り出せない気の長い事業である。しかも、毎年新しい原酒を蒸留してたるに詰め、熟成の時…

第20回 税で苦しむ 足を棒にお役所通い ついに「庫出税」認められる

 山崎の地につき出すような細長いパゴダの屋根が忽然(こつぜん)と姿を見せた。それは、スコットランドの蒸留所そのままの形であった。平屋の多かっ…

第19回 原酒工場建設 水明の地、山崎に本拠 機械発注、監督まで一手に

 ウイスキーの原酒工場をつくる場所は、空気のきれいなこと、付近に川のあること、夏でもあまり温度の上がらないこと、ピート地帯であることなどいろ…

<< >>