私の履歴書 復刻版 坂根正弘

第29回(最終回) コマツの教訓――地方回帰こそ成長戦略、日本再生、企業の役割大きい

 自民党がまだ野党だった2012年10月24日。新総裁に選ばれた安倍晋三現首相から、「日本経済再生本部を始めるので、最初の会合でスピーチしてほしい」と頼まれた。自民党本部に出向いて話した内容の骨子はこ…

第28回 デミング賞――中国子会社受賞の栄誉、「品質」テーマに駆けた50年

 デフレからの脱却が日本経済の大きな課題だが、コマツはいち早く脱デフレにカジを切ったと自負している。その最も分かりやすい例が商品価格だ。「値…

第27回 ブランド構築――顧客に不可欠な企業に、ICT建機など新分野開拓

 前回私の社長時代に制定した「コマツウェイ」について書いたが、野路さんが社長になってから、コマツウェイにブランドマネジメント編が付け加わった…

第26回 コマツウェイ――守るべき価値観、成文化、健全な企業文化、世界で共有

 最初は大赤字から出発した私の社長時代だが、構造改革の成果と新興市場の成長でその後業績はV字回復し、2005年の秋ごろからそろそろ後進に道を…

第25回 言葉力――会社変えた「ダントツ」、平均点主義から社員を解放

 社長就任1年目の2002年3月期に創業以来初の営業赤字(132億円)に陥り、人員削減などの構造改革に踏み切ったところまで前回書いた。一連の…

第24回 逆風下で社長に――雇用削減「手術は一度」、間接部門などに切り込む

 2001年の早い時期に安崎暁社長から次期社長を内示された。「なぜ私ですか」と聞いたところ、「君は米国で修羅場をくぐってきたからね」と言われ…

第23回 コムトラックス――場所や残燃料、遠隔把握、開発のヒント「たまごっち」

 1997年に経営企画室長に就いた。部下と一通り面談する中で、昔から開発技術者としてよく知っている男がいた。「何か面白いプロジェクトはないか…

第22回 技術本部長――業務システムを外注化、外国人の有識者会議発足

 米国駐在を終えて帰国したのが1994年6月。長らく別部門だった開発と生産部門を一本化して、前年に発足したばかりの技術本部の本部長に就任した…

第21回 撤退論――鉱山機械事業守り抜く、販売金融のノウハウを吸収

 コマツが米国合弁会社の小松ドレッサー(KDC)社から得た財産は多々あるが、その一つが鉱山機械事業だ。建設機械と鉱山機械は親戚のような存在だ…

第20回 現地化の限界――工場技術者は日本から、現場の高い能力、米で再認識

 2度目の米国駐在は、日本企業と米国企業の強みと弱みを見極める貴重な機会だった。日本企業には米国流の経営を見習って改めるべき点も多いが、逆に…

<< >>